文化人になりたい

その日に見た創作物について、感想を述べる。それだけの場所。

ヤクザ視点でのKING OF PRISM

ブログを作るのは初めてなので勝手がよくわかっていませんが、よろしくお願いします。

自分の好きなものについて、あれこれ考えたことをつらつらと書いていくつもりです。

 

さて、本編。

 

キンプリをみた

なぜ、今ブログを作って自分の意見を書き留めようと思ったかというと、タイトルにある通りKING OF PRISMの影響だ。

私は俗に言うプリズムエリート、もといプリリズヤクザと呼ばれる人間で、第一作であるオーロラドリームの頃からずっと追いかけてきた。応援上映やファンイベントにもオッサンひとり足繁く通っていった。

なので、KING OF PRISM(以下キンプリ)の制作が決定した時は本当に嬉しかった。

そして、公開初日1月9日の新宿バルト9でキンプリを見た。

 

プリティーリズムという作品を何度も見返している自分に怖いものはない、どんな内容でもどんと来いと思っていた。しかし、衝撃を受けた。

各所で見られる初見の方々の感想のような「なんなんだこれは!(阿世知欽太郎風)」という衝撃ではない。たった60分という短い時間にプリティーリズムというシリーズのエッセンスを詰め込み、さらなる高みへと登って行こうとする、KING OF PRISMという作品に衝撃を受けたのだ。

この感動は何なのだろうと考えた。そして、それが自分の中である程度言葉になった。この気持ちを他の人たちにも知ってもらいたい……そんな思いがこみ上げてきたのでこうしてブログという形で残そうと思う。

※以下の文には、映画本編のネタバレが多数含まれますのでご注意ください

キンプリはプリズムの煌めきへの讃歌

キンプリの物語は徹底してプリズムショー素晴らしさを描いている。

一条シンは冒頭で初めてプリズムショーに出会い、その魅力の虜となった。そして、その輝きを他の人にも伝えるべく、エーデルローズの門をたたく。様々な出会いがある中で、シンは可能性を見出したコウジからエーデルローズの未来と曲を託されることになる。

そして彼は悲しみに包まれていたステージでプリズムショーをした。逆境をはねのけ、会場を笑顔で満たすことに成功した。これを実現した原動力は、プリズムの煌めきでありプリズムショーの力そのものだ。シンはそんなプリズムショーの力を誰よりも、純粋に信じ、未成年の主張でみんなにその素晴らしさを呼びかけた。

シンのショーによって、聖は「プリズムショーはなんて素晴らしいんだ……!」と感激を再確認し、仲間たちも「これは、プリズムショーを初めて見たときの気持ち……!」と忘れていた情熱を取り戻した。これが物語の大まかなあらすじだ。

まず感じたのは、ここで聖やユキノジョウたちの心情こそ、私のようなヤクザ(エリートという呼称はくすぐったいので、やっぱりヤクザという方が性に合う)が感じた気持ちそのものではないか。

キンプリは、視聴者に「初めてプリズムショーに出会ったときの感動」を訴えかけ、今一度プリティーリズムという作品の素晴らしさを思い起こさせてくれる。

また、その感動を強く訴えかけるために、今まで表立っては描かれなかった「男子レベル」の世界を描くことで、シリーズを見慣れてきたファンにとっても新鮮な体験を起こさせてくれるというニクい配慮もある。トキメキサイクリングもEZ DO DANCEも、「これが男子レベルだ」と言わんばかりの存在感で視聴者を笑わせ、謎の感動を与えてくれた。シリーズ初見の方々の衝撃は言わずもがな、であろう。

この感動を訴えかけてくれるのが、プリズムショーに出会ったばかりのシンであるというのも素晴らしい。例えば、例の演説が聖によるものであったのならば、同意こそすれどここまでの感銘は受けなかっただろう。プリティーリズムの世界に入門したばかりであるシンの言葉だからこそ、かつて新ジャンプや新曲にワクワクしながら土曜の朝を待っていたあの頃を思い起こし、感動するのだ。

菱田監督はニコ生でのメッセージで、「既存のキャラを使い捨てるわけではなく、全てのキャラが最高の輝きを放つために」新キャラを九人も投入したと語っていた。その意味は、「プリズムショーとの出会い」という体験を思い出し、真なるプリズムの煌めきを追求すべし、という監督のメッセージではないのだろうか。

その意味で、視聴者の立ち位置はエーデルローズの新入生たちと重なる。彼らはエーデルローズ感謝祭について「いつものBOY MEETS GIRLでいいんじゃないの?」と言っていた。これではプリズムジャンプに必要な心の飛躍は出てこない。あいらのショーで得た感動を糧にして表舞台に現れたみあのように、煌めきを絶やすことなく燃やし続けるんだ、というメッセージがシンの演説には込められているのではないか。

いまこそプリティーリズムなのだ!というメッセージ

では、なぜプリパラへのバトンタッチも果たした今、プリティーリズムが必要なのだろうか。それこそが先に述べたプリズムの煌めきであると思う。

プリティーリズムとプリパラは、根っこの部分は同じではあるが、基本的には別作品である。プリパラには親世代のドロドロした因縁はないし、プリティーリズムには強烈な語尾を振り回す奇想天外なキャラクターはない。

プリズムの煌めきとは、プリティーリズムという作品のみが持つ、プリティーリズムの象徴たる概念だ。様々なドラマや人間関係に翻弄されつつも、自分を輝かせるための最高のジャンプを跳ぶ。その際の強烈なカタルシスこそが、ヤクザをプリリズの虜にしてやまない要素なのだと思う。

キンプリはそんなプリズムの煌めきを60分という短時間に見事に凝縮している。(あまりに濃厚すぎて、「シャブ」「電子ドラッグ」とまでいわれてしまう様だ(笑))

しかし、そもそもプリティーリズムという作品は劇場版プリパラにてその役目を終えていた。その輝きはプリパラへとバトンタッチされていったはずだった。なのに、KING OF PRISMという完全新作が制作され、プリズムの煌めきを広めている。

監督は、キンプリをプリリズのショーを振り返るアニバーサリー的なものとして検討したこともあったと、ニコ生でのメッセージで述べている。しかし、実態は新キャラを大量に投入し新シリーズとして新しい物語を歩み始めている。いわば、プリティーリズム新章だ。

これは、まだまだプリパラではないプリティーリズムという作品を続けていくぞという監督の意志の表明ではないか。シンというキャラクターを通じて語られた檄文は、「お前ら思い出せ!そしてついてこい!」という親分の号令なのだ。

キンプリはシンそのもの

キンプリを「一生プリティーリズム宣言」として捉えると、この物語は実に現実の状況に対応している。

エーデルローズ=プリリズスタッフはその主力をプリパラ=Hollywoodに持って行かれ、完全に終焉を迎えたと、誰もが思っていた。オバレの最後の曲であるflavorは、プリズムツアーズで映像が初めて作られた曲であり、プリリズからプリパラへのバトンタッチの象徴とも言える。そして、この曲に関してだけは映画と同様、新規CGを作らずに新規作画で表現することを選んだ。そして天より舞い降りた列車はプリパラを暗示させるFor ParadiseからFor Hollywoodへと変わり、コウジを送り届ける。

しかし、プリズムの煌めきは死に絶えてはいなかった。一条シンは明かりの消えてしまった会場に再び火を灯し、新たなる太陽となった。プリパラへとバトンを渡したにもかかわらず、スピンオフが制作されて大きなムーブメントを巻き起こしているキンプリは、まさにシンそのものではないだろうか。

(ちなみにシュワルツローズはなかなかGoサインを出してくれない上層部か、あるいは予算の潤沢な某国民的女児向けアニメあたりでしょうか?(笑))

これで、この作品を見た私の反応が聖やユキノジョウたちと全く同じものであったことにも合点が行く。聖やエーデルローズの仲間たちは、キンプリを見たファンたちの想いそのものなのだ。なんとメタ的な物語だろうか! それでいながら物語の構成も練ってあり、エンターテイメントとしても最高の出来栄えになっている。このような離れ業をなす菱田親分はやはりすごい。

ともあれ、菱田監督は「最初で最後になるかもしれないこの一本」を、このような形で送り出した。

「プリリズは不滅だ。俺に続け!」というメッセージを受け取った私たちがすべきことはなんだろうか。その答えは作品にある。シンに駆け寄り、仲間として心を一つにすることだ。つまり、この作品を応援し、次なるステージへと繋げることだ。(この作品は「仲間」への賛歌でもある)

私は、プリティーリズムという作品をその命が続く限り、ずっと応援していきたいと思う。そして、一人でも多くの人にキンプリやプリリズという作品を知ってもらいたいと思う。

夢を夢で終わらせない。奇跡は起こるものではなく、起こすものなのだから。