文化人になりたい

その日に見た創作物について、感想を述べる。それだけの場所。

ポプテピピック第1話「出会い」感想〜これがプロの犯行だ〜

私は、俗にクソアニメと呼ばれる作品が大好きだ。

決して製作者の意図通りではないであろう独特のテンポと、どこか間延びした台詞回し。そしてツッコミどころから派生して生まれる、生温かい目線という名の視聴者文化。

普通の作品では得られない、独特の魅力を時として彼らは持っている。

 

しかし、そんなクソアニメをプロが意図して作り上げたらどうなるのだろう。

ポプテピピックはそんな実験だ。

 

御存知の通り、ポプテピピック大川ぶくぶによる4コマ漫画作品である。 

散りばめられたマニアックなパロディに、暴力的でナンセンスなギャグの数々。

かろうじて一般ウケする絵柄でなければ、間違いなくアンダーグラウンド一直線であっただろう。そんな暴力と皮肉を固めて腐らせたような笑いが魅力の漫画だ。

 

編集部も作者も、恐らく9割以上の読者が「クソマンガ」と賛辞を送るこの漫画をアニメにすると聞いた時、私の心は踊った。

そして、アニメを作成するのは「ジョジョの奇妙な冒険」OP動画の製作でも有名な神風動画。細部へのこだわりも欠かさない、高い技術を持った変態プロフェッショナル集団である。

 

彼らが本気でクソアニメを作ると聞いて、「これは約束された勝利なのでは」「いや、狙って作られたクソアニメに価値などあるのか?」という二つの感情が宿った。

しかし、私の不安は杞憂だった。

 

冒頭はアニメ化告知、そして原作シーズン2でも登場して話題をさらった「星色ガールドロップ」のオープニングを完全再現だ。

「神風動画」→「そよ風動画」

キングレコード」→「市民レコード」

などの小ネタも欠かさない。

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もちろんライブシーンは無駄に凝っている。

 

オープニングが終わるといよいよ本編。

基本的には原作の4コマをアバンでつなぎながら羅列していくという、近年の4コマアニメではよく見られる構成。ネタはちょっと長めのものから本当に数秒で終わるものまで、テンポよく配置されていて飽きが来ない。

クロノトリガースーパーマリオワールドのパロディはこれでもかというぐらい拘って作られている。やはり変態。

 

しかし、何より特筆すべきは声優だろう。

江原正士氏と大塚芳忠氏という渋所の大御所声優をポプ子・ピピ美という「どこにでもいる普通の中学2年生(笑)」役に当てたのだ。

このキャスティングを思いついた人間はとんでもない。声だけで絵面のシュールさ、違和感が尋常でなく増幅される。また、なまじベテランであるためオラついた演技がとてもうまい。

 

そもそも、漫画とは音声のない媒体である。

そんな漫画に声を吹き込む場合、多くの場合イメージされるのはビジュアルである。さわやかなキャラクターにはさわやかな声を、力強いキャラクターには力強い声を当てる。

しかし、このアニメはビジュアルではなくセリフに合わせて声優をキャスティングした。ポプ子・ピピ美というキャラクターの外見を忘れて「このセリフを言うのにふさわしい声の持ち主はだれだろう」という視点でキャスティングをした。(これは後述する"もう一人の声優"にも同じことが言える)

キャラクターのキュートな外見があくまでカモフラージュにすぎないこの漫画に対して、この方針のキャスティングは唯一絶対の解と言っても差し支えないだろう。やはりプロの考えることはすごい。

 

さて、そんなこんなでAパートが終わる。

過剰なまでに叩き込まれるナンセンスなギャグの応酬を終え、Aパートを終えた視聴者はこう思う。

「このノリで30分やるのか?」

と。

 

そして、Aパートも終わろうかというタイミングでまさかのエンディングだ。

昨今珍しくない変則的な構成に慣れた視聴者は「これはCパート長すぎだろ!」と突っ込ませるやつだと想像する。しかし、このアニメはそんな視聴者の想像すら軽く超えていく。

 

BパートはまさかのAパートの焼き直しである。

右上に「再放送」という文字が踊り、星色ガールドロップの全く代わり映えのない冒頭が始まる。

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「またこれを見るのか」

そう思うと、冒頭では涼しい顔をして見られた星色ガールドロップという茶番劇が急激に苦痛に感じてくる。

そのまま、アニメは全く同じ展開を見せたままオープニングに突入する。

 

本編が始まってすぐさま気付くのは声優の変更だ。

Aパートでポプ子とピピ美を担当していた江原氏・大塚氏から、三ツ矢雄二日高のり子両氏に変更されている。

さすが声優。キャストが変わるだけで、先程とはテイストが変わって、同じ流れでもなんだかんだ楽しむことができる自分に気づく。

なるほど、同じ映像でもこんな変化をつけるだけで、AパートとBパートが同じという禁じ手を正当化できるものなのかと感心した。

 

しかし、それは初めの5分程度だ。

どんなに声が変わろうが、所詮は全く同じ映像に全く同じテキスト。

何か小さな変化もあるのかと細かな注意を凝らしてみたが、それも全く見受けられない。

オーキド博士が登場したあたりで、私は一つの結論にたどり着く。

「ああ、これはやはりクソアニメなのだ」と。

 

数々の愛すべきクソアニメを嗜んできた身として、クソアニメに欠かせないものが一つある。

「苦痛」だ。

 

なぜ自分はこれを見ているのか。

人生の貴重な時間をこんなことに割いてよいのか。

この時間の先に何が得られるのだろうか。

 

そんな圧倒的虚無を前にした絶望感がクソアニメにはある。

いま自分は時間を浪費しているのだという背徳感が快感となって脳を刺激する。

それがクソアニメだ。

 

思えば、ポプテピピックのAパートは完成されすぎていた。

作画はガンガン動くし、小ネタも豊富。そして大量のネタがテンポよく消費されていく演出の妙技。

ギャグアニメとしては間違いなく一線級であった。

 

しかし、クソアニメではない。

 

ポプテピピックはクソマンガとして名を馳せた。

ならば、アニメ版ポプテピピックはクソアニメでなければならない。

実際、多くのファンが「どんなクソアニメができるのか」と手ぐすね引いて待っていたことだろう。

一方でスタッフにもプライドがある。単に低品質な作品を作ることでクソアニメを作るなど許されるはずもない。

 

そして生まれたのが「プロの技術によるクソアニメ」だ。

作画・演出・演技。全てが高いレベルでまとまっていた。

しかし、約10分間の映像を二度見せることによって、視聴者に苦痛を植え付け、「クソアニメ」としての評価を得ることに成功した。

妥協も手抜きも一切ない、本気のクソアニメである。

 

思えば、本家のポプテピピックも絵のコピペが話題になっていた。

その手法へのリスペクトも感じられる素晴らしい解決策である。

 

 

初回から「クソアニメを作る」というスタッフの熱い意志が感じられたポプテピピック

今後の展開が楽しみだ。