文化人になりたい

その日に見た創作物について、感想を述べる。それだけの場所。

この世界の片隅に 感想

今日はamazonプライムで「この世界の片隅に」をレンタルして見ていました。

https://www.amazon.co.jp/この世界の片隅に-のん/dp/B06ZZB35B2/ref=sr_1_1?s=instant-video&ie=UTF8&qid=1518018470&sr=1-1&keywords=この世界の片隅に

結論から言えば、評判に違わず素晴らしい作品でした。

 

 

通常、「戦争もの」というと戦争の悲惨さを強調していく作品が多いでしょう。

しかし、この作品では、原作マンガからそうですが、極限まで当時の人達のリアリティを描こうと注力しています。

それは「異変に気づかぬまま壊れていく日常」です。

 

現代に生きる我々の感覚では、戦争は究極の非日常です。

なので、「平凡を突然奪われる」という光景をつい想像してしまいがちです。

しかし、当時の人々にとって、戦争とは日常を少しずつ侵食していくものであり、徐々に価値観が狂っていくものなのだということを、この作品はことさらに強調します。

 

主人公のすずは戦時下に呉市の農家に嫁いだ主婦です。

彼女たちの世界では、食料は配給であることは当たり前で、身近に軍人がたくさんいます。

そんな当たり前の日常をほのぼのとしたタッチで淡々と描いていきます。

それは、あくまで彼らにとって何でもない普通の日々なのです。

 

しかし、歯車は徐々に狂っていきます。

気がつけば空襲警報は日常となり、義姉の家は疎開という名目でなくなってしまいます。

空襲の際に祖父が倒れて肝を冷やしましたが、ただの寝不足でした。

それでも、そこにあるのは彼らにとって変わらない日常のままであり、違和感となることはありません。

すずたちは、変わることなく元気な日々を過ごしていきます。

 

そのゆがみが突然に目の前に現れるのが、不発弾の事故です。

突然の姪の死と、片腕の消失。

すずにとって当たり前の日常は突然、死と戦争の狂気の前に晒されることとなります。

事故の様子を絵画に例えてどうにか客観視しようとする様子や、右腕を失ったすずの空虚な回想は、歯車が狂っていたことに気付かないでいたすずの衝撃を実によく表現しています。

 

家に焼夷弾の一部が落ちた時のすずが印象的です。

腕を失った事故は、あくまで義父の見舞い帰りであり、自らの日常とはいえないところでの事故でした。

しかし、家の中に火が広がったことは、遂に戦争というえげつない暴力が自分の生活圏内に入り込んできたということをすずに実感させます。

そのことをようやく実感したすずの悲痛な叫びがとても印象的です。

 

8月6日。広島に原爆が投下された時のすずは、最早、ぽけっとした平凡な主婦ではありません。

自分の身の回りのものが救われることを祈る、弱き市民でした。

怪我をしているにも関わらず、必死に広島へゆこうとする姿が痛々しくも心に刺さってきます。

 

そして、何よりの肝は玉音放送を聞いた時の反応でしょう。

「こんな簡単に終わるのなら、今までの犠牲は何だったんだ」「全員最後の一人まで戦い抜く覚悟と言ってきたのに、なんでその誓いをあっさり放り出すんだ」

国家という虚像に振り回され、為す術もなく多くのものを失った人たちの悲痛な叫びだと思いました。

それにしても、すず役ののんさんはとてもいい仕事をされていますね。監督が彼女以外ありえないと太鼓判を押しているのも納得の演技です。

 

 

 

私は当時の人間ではないので、戦争がどういうものなのか、特に自分の住む街が戦場となり焼かれるということがどういうものなのか、想像でしか語れません。

しかし、「この世界の片隅に」は日常に徐々に蝕む火薬の香りと、一気に恐怖の実感として伴っていくさまが巧みに描かれており、それが恐ろしいものであるという想像を十分に掻き立ててくれました。

当時の人々の豊かでたくましい生き様とともに、この作品が長く語り継がれるといいなと思っています。